9年間の… [日記・雑記]
生来の怠け癖がたたり、なんと9年ぶりの更新となりました。
紆余曲折を経て所属する宗派が法華宗→臨済宗→黄檗宗と変わり、あらたに侃道(かんどう)という法名をいただきました。
これから毎月『小止観』の解説をする場を設けていただきましたので、こちらのブログも再開して考究してまいります。改めまして、よろしくお願い致します。
侃道 九拝
日本印度学仏教学会 [日記・雑記]
タイトルを見て「日本印度化計画」という曲名が浮かんだアナタ、お友達になれそうですね。
本日より母校の大谷大学で日本印度学仏教学会の第60回学術大会が開催されます。
http://www.inbuds.net/
いいかげんに私も何か発表をするべきなのでしょうが、研究テーマが確定しないまま博士課程を満期退学してしまった大馬鹿野郎なので、ここ数年は「勉強」はしていても「研究」は全くしていない現状。
…年々アカデミックな世界から遠ざかっています。
が、せめて母校で開催される時ぐらいは友人・知人の活躍を見に行きましょうかねぇ。
本日より母校の大谷大学で日本印度学仏教学会の第60回学術大会が開催されます。
http://www.inbuds.net/
いいかげんに私も何か発表をするべきなのでしょうが、研究テーマが確定しないまま博士課程を満期退学してしまった大馬鹿野郎なので、ここ数年は「勉強」はしていても「研究」は全くしていない現状。
…年々アカデミックな世界から遠ざかっています。
が、せめて母校で開催される時ぐらいは友人・知人の活躍を見に行きましょうかねぇ。
遊び心がほしいので… [日記・雑記]
さて、おもむろに学習帳ブログを開始したわけですが、開設したばかりのブログをパパーっと見たら、何だか堅苦しい雰囲気になりそうなので、少しは遊び心を加えたいな~と思いました。
そこで、前々から内輪の勉強会で講読しようと考えていた宝地房証真の『天台真言二宗同異章』を、この際、関西弁での現代語訳を試みたいと思います。
題して 「天台宗と真言宗はどない違うのん?」
どうでしょうか?
何となく楽しい感じがしませんか?
…あ、そうでもない? そうですか。。。
しかし、私はさっそく他の作業よりもワクワクしてきましたよ。
来月から開始したいと思います。乞うご期待!!
そこで、前々から内輪の勉強会で講読しようと考えていた宝地房証真の『天台真言二宗同異章』を、この際、関西弁での現代語訳を試みたいと思います。
題して 「天台宗と真言宗はどない違うのん?」
どうでしょうか?
何となく楽しい感じがしませんか?
…あ、そうでもない? そうですか。。。
しかし、私はさっそく他の作業よりもワクワクしてきましたよ。
来月から開始したいと思います。乞うご期待!!
まずは第一歩として… [日記・雑記]
さてさて急遽はじめましたこのブログ。
何を学んでいくかといいますと、とりあえず『天台四教儀』と『天台小止観』を読んでいきたいと思います。
天台宗という宗派は「教観二門」といって学問(教相)と実践修行(観心)の両方を重視します。
本来この教観二門を学ぶためには『法華玄義』と『摩訶止観』を読むべきなのですが、これは大部であり非常に難解な論書なので、まずは入門用として『天台四教儀』と『天台小止観』を選びました。
ここで注意しなくてはならないのは『小止観』です。題目だけを見れば『摩訶(大)止観』に対する『小止観』と思われがちですが、天台大師の説く止観の修行には三種類(漸次・不定・円頓)あって、実は『摩訶止観』と『小止観』とはそれぞれ異なる止観を説いているのです。したがって、『小止観』だけを見て「これが天台の止観だ」と思うのは不充分なのです。禅宗各派をはじめとする他宗派が「天台止観」と思い込んでいるのは、実は『小止観』に説く漸次止観であり『摩訶止観』に説く究極の圓頓止観ではないのです。ここが後代の天台宗への過小評価につながっていると私は思います。
…というわけ(?)で、『天台四教儀』は全文を購読するという形を取り、『小止観』については概要を簡略にしつつ、『摩訶止観』に説く円頓止観を補足して「仏教瞑想マニュアル」的な形にできればいいな…と考えています。
とはいえ、性格も生き方も「雲」そのものの私のこと、どちらに流れるか、とどまるかも分かりません。あまりに動きがないときは叱咤激励お願いします!
何を学んでいくかといいますと、とりあえず『天台四教儀』と『天台小止観』を読んでいきたいと思います。
天台宗という宗派は「教観二門」といって学問(教相)と実践修行(観心)の両方を重視します。
本来この教観二門を学ぶためには『法華玄義』と『摩訶止観』を読むべきなのですが、これは大部であり非常に難解な論書なので、まずは入門用として『天台四教儀』と『天台小止観』を選びました。
ここで注意しなくてはならないのは『小止観』です。題目だけを見れば『摩訶(大)止観』に対する『小止観』と思われがちですが、天台大師の説く止観の修行には三種類(漸次・不定・円頓)あって、実は『摩訶止観』と『小止観』とはそれぞれ異なる止観を説いているのです。したがって、『小止観』だけを見て「これが天台の止観だ」と思うのは不充分なのです。禅宗各派をはじめとする他宗派が「天台止観」と思い込んでいるのは、実は『小止観』に説く漸次止観であり『摩訶止観』に説く究極の圓頓止観ではないのです。ここが後代の天台宗への過小評価につながっていると私は思います。
…というわけ(?)で、『天台四教儀』は全文を購読するという形を取り、『小止観』については概要を簡略にしつつ、『摩訶止観』に説く円頓止観を補足して「仏教瞑想マニュアル」的な形にできればいいな…と考えています。
とはいえ、性格も生き方も「雲」そのものの私のこと、どちらに流れるか、とどまるかも分かりません。あまりに動きがないときは叱咤激励お願いします!